2003年の9月に「ホームヘルパー2級講座」を受講したことから、私の介護職人生が始まったのだけれど、その講座の中で先生が仰ったことで忘れられないことが二つある。
一つは「福祉とは、<ふ>つうの<く>らしができる<し>あわせを提供することである」という言葉で、まあちょっと「笑点」的な語呂合わせと言えなくもないけれど、一応私の中で、日々の仕事の基本精神という感じでいつも響いている言葉。
もう一つは「死のベッドに持っていけるものは、思い出と人間関係だけ」という言葉。いくら財産があっても、最期のベッドでは、着飾ることも出来ないし、グルメな食べ物も食べられなくなる。ただ病衣をまとって臥床するだけのベッドの上に何を持っていけるか・・・というと、それまでの人生の思い出と、ベッド周りに集まってくれる人たちとの人間関係だけ、という訳。
もちろんその時も「ああ、なるほどなー」と聞いてはいたのだけれど、自分が死を意識せざるを得ない立場になってからは、実感として受けとめられるようになってきた。
だったら、一つでも多くの思い出を緩和ケア病棟に(病院内の緩和ケア病棟にはいろうと勝手に決めている・・・20床しかないのに)持ち込んでやろうではないか!とやたらはりきっている。
昨日、おとといと、地元からまた「思い出作り」の助っ人がはるばる訪ねてきてくれた。
アルバイト先で知り合った人なので、当時一緒にアルバイトをしていた人たちの懐かしい名前や、お店で起こったできごと等を話していると、ここ何十年も思い出しもしなかったいろんな記憶がよみがえってくる。
そうかあ、思い出って、こうやってケアしないと、せっかくあってもないのと同じになってしまっているんだとしみじみ思った。ベッドまでせっかく持っていっても、思い出せないんじゃ仕方がないもんね。
本当に長い時間いろんなことを話し、思い出のケアに励む。
そして「思い出のケア」と同時に、せっせと新しい思い出を作ることにも励む。
今日見た景色、食べた物、話したこと・・・すべてが死のベッドに持ち込む貴重な宝物になる。
思い出長者になって、心置きなく横たわろうと思う。
本当にありがとう♪
死のベッドに持っていけるもの
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「死のベッドに持っていけるものは、思い出と人間関係だけ」
ものすごく納得しました。
思い出も、人間関係も、持っていきたいものと、忘れ去りたいものがあるけど、
私も、大切にしたいものだけ、今からしっかり積み上げていきたいと思います。
思い出長者になれるのは、望が今まで築いてきた人生だからこそ。
私の気持ちも、望のベッドに一緒に行きたいよ…。
さっちが私にくれた、暖かい気持ちももちろんベッドに持っていくから♪
忘れ去りたい思い出は迷うところだけど、やっぱりそれも今までの人生の一部だからなあ・・・持って行こうかな。