家族

ふつうの暮らし

 2009年の大晦日から昨日(2010年1月7日)まで帰省をして、戻ってきました。
帰省中、私にシールをくださった皆さん(暖かい思い出ができると、心のシール帳にシールがたまると勝手に決めている)、本当にありがとうございました。
黒豆の形のシールや、バイキング(食べ放題)の形(どんな形だ!?)のシール、本やロールケーキや十字架の形のシール、そして味噌煮込みうどんや(私の郷里がどこなのかモロバレですね)、電話の形のシール・・・またまたシール帳はいっぱいになりました。
あくまでもずうずうしい私、まだまだシールのプレゼント、ガンガン受付中ですのでよろしくお願いします。
私の実家は、今は両親(父77歳と母75歳)と猫2匹の暮らしである。
両親二人とも年齢なりに病気をしたり怪我をしたりしつつも、何とかふつうに暮らせている様子。
それでも久しぶりに会うと、年とったなあ~と思うことがしばしばである。
父はまだまだ毎日車を運転していて、運転技術はまだまだ大丈夫のようであるが、いったん道に迷ってしまうと大パニック。カーナビはついているのだが、そのナビゲーションに従って走るのが難しいようなのだ。「あと○○メートル先、左方向です~」とカーナビのお姉さんは優しく教えてくれるが、どうもその感覚がよくわかんないみたい。
それに、何かを話そうとしても言葉がスッと出てこないことが多くなった。元々小学校の校長で、「お話」するのは大好きなタイプ(朝礼では生徒さんがさぞかしうんざりしていたのでは)
なので、そういうことがあるたびに本人は余計ショックを受けているようである。
母は、とにかく耳が遠くなった。
そして耳が遠いのはもちろん不便なことだけれど、それ以上の問題は、聞こえていないのに適当に返事をしてしまうこと。
母は若い頃から、やや思い込みが激しく、それに負けず嫌いで、人に何かを任せたり弱いところを見せたりするのは苦手なタイプだった。
聞こえていなくても、聞き返したり、「自分はよく聞こえないので、家族の者に言ってください」と言ったりできる性格ではなく、一家の主婦として今でも自分が率先して何でも交渉したいたちなので、しばしばトラブルが起こっているようだ。
そんな風に少しずつ年老いてきている両親のふつうの暮らしは、まさに綱渡り。
本当ならそろそろ私が助けていかなければならない時期に来ているのに、私ときたら、もっと危なっかしい綱渡りをしながら、なんとか一日一日を暮らしているありさま。
みんなが綱渡りで暮らしているのだ。全員シルク・ド・ソレイユ状態だ。
はああああ。なんか先のことを考えると暗くなっちゃう。
誰かがちょっとでもバランスを崩したら、奈落の底に転落って感じ。
それでも、猫と遊んだり、花を育てたり、近所に新しいお店ができたと言ってちょっと覗いてみたり・・・年齢なりに、危ういなりに、一日一日のふつうの暮らしを楽しんでいる両親を観察?していると、私も学ぶところが多くあった。
人生ってもしかしてこれでいいのかも知れないな・・・と。
判で押したような毎日、という言葉があり、私も若い頃はそんな両親の毎日を「なんかつまんなそう」と思ったりしていたのに、今は、毎日同じ形のはんこを押し続けられるってすごいじゃん!と心から思える。
だって月日が経てば、はんこの縁が欠けたり、形が曲がったりしちゃうんだもん。
多少すりへってきても、一日一日判を押していく。なんとかかんとかふつうの暮らしを続けていく。
誰かに「つまんない人生」と言われても、私はそれでいいと思う。そういうことに人生の価値を見出す種類の人間もいるんだと、自分がふつうの暮らしを失いかけて、初めて気付いた。
両親が一日でも長く判を押し続けられますように。そしていつか二人だけではそれが難しくなった時、適切な助けがどこからか受けられますように。
また、私自身も一日でも長くふつうの暮らしが続けられますように。
新年の抱負というにはあまりにも平凡で地味だけれど、今の私にはそれが一番の夢であり願いである。
そしてふつうの暮らしの中に、時々きらっと輝くスペシャルな一瞬があったらもっと素敵かも。
旅行だったり、人との出会いだったり・・・、おいしいものを味わったり、お洒落したりするのもよいかも知れないな(現在「石田ゆり子」になれるかつらをネット探索中)
どんな「スペシャル」を自分に用意できるか、わくわくしながら考えている。
「ガンだけど 計画立てるのは自由」 望

POSTED COMMENT

  1. かおる より:

    おかえりなさい
    親が年老いた事実を見ると寂しくなってしまいますね。
    でも、ボケていくのも(失礼)、体の機能が衰えていくのも、自然の摂理、と思います。
    ご両親のことは、なんとかなると思いますが、もし、望さんが一人っ子で心配ならば、後見人制度を利用する、とか、市役所、保健所に相談する、とかするのはどうでしょうか?心配ならば、の話です。
    私も、普通の暮らしができるって、幸せってことなのね、って病になって、初めてわかりました。
    ふつうの中に、楽しいひと時を経験しましょうね

  2. びばり より:

    判でおしたような生活か・・・
    いずこも似たような 両親の姿。
    畑に趣味を見出した父。判で押したように毎日畑で時間を過ごすのだが、畑の野菜たちは日々変化。
    明日にはこれを収穫か
    と父の日々にスパイスをくれるらしい。
    母はといえば、毎日同じ種類の野菜が採れるので、ご近所へのふるまいにイベントを見出している。
    望さんがいうように、判を押せる毎日に感謝である。

  3. あま より:

    いつもと同じお正月でしたが、いつもと同じってことが、ありがたいことなんですね。
    一病息災で、今年もまめで暮らせますように。

  4. バニバニ より:

    体長悪くしないで帰ってこれて、何よりです~
    父は会うたびに年取ったなーと感じます
    毎日趣味の絵を描いています
    物忘れがひどくて、心配になっちゃいます

  5. ひーみ より:

    お会いしたら 泣いちゃったらどうしようと思っていたの。だけど望さんは明るくて 全然病人らしくなくて お菓子ぱくぱく食べちゃうし、いろいろつきあっていただいて・・・。なんだか、子どものころから変わらないいたずらっ子にやられた~っていう感じです。だいじょうぶ、まだふつうのいたずらっ子でいられます。もっといたずらかましてください(笑)。石田ゆりこのいたずらっ子も見たいなあ。

  6. より:

    >かおるさん
    そうですね、両親が老いていくこと、私自身も老いて病んでいること・・・自然の摂理なんですよね。そんな中でふつうの暮らしを続けていけるよう、なんとかやっていくしかないんですよね。
    離れたところにですが、私の妹がいるので、いざとなったらなんとかなると思いますが、この先ヘルパーさんを頼むようなことになってもスムーズに受け入れられる性格ではない母なので、そこはかなり心配しています。
    >びばりさん
    「野菜さん」が上手に暮らしにスパイスを与えてくれているんですね。よい趣味に出会えてよかった!
    びばりさんのご両親も、一日でも長く判を押し続けられますように・・・(祈)
    >あまさん
    一病息災♪ うんうん、この「一病」(ちょっと重すぎるけど・・・笑)のおかげで、もしかしたら他の災厄を免れているのかも、と思う時があります。
    いつもと同じ一年をおくりたいですね。
    >バニバニさん
    絵の趣味、素敵ですよね♪ ほんと趣味って大事だと思います。
    うちの両親も物忘れは相当なものです。帰省中、二人の珍問答に爆笑の連続でした。
    >ひーみさん
    お正月はありがとう。お手紙、ゆっくり何度も読ませていただきました。心に沁みました。
    今度会うときは、石田ゆり子になってるから、お楽しみに♪
    今日娘に「松島菜々子みたいなかつらもいいね?」と言ったら、「言いにくいけど、ちょっと変だと思う」とはっきり言われました(涙)

へ返信する コメントをキャンセル

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です