私の体の中には膵臓がんがある。
告知を受けてからもう1年以上になるので、「膵臓がんをかかえた私」というのがもはや基本(?)になっていて、常に強く意識している訳ではない。
かと言って、忘れている訳でもない。
いつも、心の片隅に病気は静かに座っている・・・という感じ。
そんな、いつもはおとなしく座っている「病気意識」がピピピと反応する時がある。
どなたかが「膵臓がんで亡くなりました」と報道されるときだ。
中島梓さんの時もそうだったし、先日は(私の知らない方だったが)アメリカの俳優さんで亡くなった方もいたし、昨日は「class」というデュオの津久井さんという方が、膵臓がんで亡くなったとテレビで言っていた。
津久井さんのことはあまりよく知らなかったけれど、classの「夏の日の1993」はヒットした曲だし、カラオケに行くとだいたい誰かが歌うので知っていた。
たぶん今年の夏と思われるライブ映像が流れたのだが、やはり私と同じで、びっくりするほど痩せている。
ピピピピピ・・・と膵臓がんアンテナが反応。
今年の2月に告知を受けて10月に亡くなったってことは、告知から8ヶ月しか経っていないんだな、とか、週に1回抗がん剤治療を受けていたってことは「私と同じ」ジェムザールだな、とか、「手術はしなかった」って言ってるけど厳密には「私と同じで」できなかったんだろうな、とか、頭の中が急に忙しくなる。
「私と同じ」境遇にあった人が、亡くなってしまったのだ。
痩せてはいたけど、少なくとも夏にはギター持ってライブやってた人が亡くなったのだ。
自分が今小康を保っているからといって油断はできない、死はやっぱりとても近いところにあるんだなと改めて強く思う。
そして元気がなくなって寝込む・・・といういつものパターン。
私は情報より心の平安を重視しているので、普段は膵臓がん関係のサイト等あまり見ないようにしているのだが(おおむね悲惨なことしか書いていないので)、テレビで訃報を流しているのを知らずにいることは難しい。
そして膵臓がんで亡くなった人のニュースを避けたい自分と同時に、その人がどのくらい生き、どんな治療を受け、どのように亡くなったのか、知りたくて知りたくてたまらない自分も確かにいるのだ。
膵臓がん情報とどんな距離で付き合っていったらよいのか、アンテナの高さはどれくらいにしておいたらいいのかな、と迷いながら暮らしている。
膵臓がんアンテナ
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ブログ来てくれてありがとうね、とここにコメントがえししている私。。そう、あとで、かいておけばよかった、と気づいたんだけど、今ね、すっごいあっち系??のコメントが入るようになっちゃって、前はけしてたんだけど、ゲストコメント受け付けない、っていう設定にしちゃったんだ。だってそうしないとけせないように何か工夫した人がいてね、それを無視してコメントがえししようとしてもどうしてもなんか気になっちゃうし。そういう人は、何か、ものすごくつらい事があって世の中の人に迷惑かけることで鬱憤晴らししてるのかなあ。ほかのやり方で世間の注目集めるような事すればいいのにね。
とと、今回のコメントとして何かいていいのかよくわからないの。。ただ、今日一日、望さんのこと考えて過ごすね。
そうかあ、それでコメント書けなかったんだね。
人のブログを荒らしても何にもいいことなさそうだけれど、そんな人もいるんだね。
でもきっとその人、自分の死に面した時に後悔すると思うよ。だからその人自身のためにやめてほしいと思うんだけどね。