昨年(2009年)の10月の終わり頃に、それまで投与していただいていた「ジェムザール」という抗がん剤がもう効いていないことがわかり、最後に使える抗がん剤である「カンプト+シスプラチン」に変えましょうと主治医の先生からお話があった。
その時思い切って、あと大体どれくらい生きられるのかを尋ねたところ、先生のお答えは「半年くらいかな」とのことだった。
10月の終わりにあと半年くらいの命ということならば、と指を折り、そうかあ来年(2010年)の4月30日くらいに死んじゃうんだなあと思った。
もちろん予想にすぎないのだけれど、一応その日を「死亡予定日」と決め、常に意識しながら日々を過ごしてきた。
わりに賞味期限が長い食べ物(お菓子とか)を見て、「このお菓子、私が死んでからでも大丈夫なんだな」としみじみしたり、テレビの地デジ化や東京スカイツリーがいついつできるなんていうニュースを見ながら「どうせそれまで生きられないから関係ないや」とすねたりしながら暮らしていた訳だ。
読む本も変わってきて、人の死に様(特にがんで亡くなった方のケース)が具体的に書いてある本をむさぼるように読むようになった。
どう生きるかということにあまり興味を持てなくなり、がんで死ぬとは具体的にどういうことなのかを知りたくて知りたくて仕方がない気持ちになってきたのだ。
以前はそういうことを知りたくなくて、その手の本は読まないように、ネットでも見ないようにと気をつけていたのに、そろそろ本当にそういう時期が来たんだなあと思うと、なぜか知っておきたいような気分になったのが不思議だ。
そして半年しか生きられないと思うと、自分のやりたいことがクリアにわかるという体験もさせてもらった。
病気になったばかりの頃は、漫画を読んだりゲームをしたりぼんやりしたり・・・ということは貴重な人生の時間を無駄遣いしているように思えて落ち着かなかったのだが(もっと有意義なことをしなくちゃと思いながら何をしていいのかわからなかった)、今の私は逆に心から楽しんで漫画を読んだりぼーっとしたりしている。
今の自分がそれを「やりたくてやっている」ということがはっきりわかっているからだ。
人から見てどんなに時間を無駄に使っているように思えたとしても、今私がしていることはすべて私がやりたくてやっていること。
その確信が持てるようになったのも、死亡予定日を意識するようになったからだと思う。
今日はなんとその4月30日。
カンプトとシスプラチンがまだなんとかがんばってくれていて、あちこち水漏れだらけの身体だけれど何とか持ちこたえている。
そして、この先のことはわからないけれど、とりあえず今日一日はよい日にしようと思える心がまだ残っている。
皆に支えられて、死亡予定日を乗り切ることができそうです。
ありがとうございます。
今日の夜急変して、結局乗り切れなかったら、「ぷぷぷ」と笑ってやってくださいね♪
<お知らせ>
友人たちが力を尽くしてくれ、このブログの昨年末(2009年12月)までの記事を本にまとめてくれることになりました。
内容はブログとほとんど同じで、新しく書き足したところは前書きと、後書きくらい。後、一度書いたのですがあまりにも私の醜い心が表れているためブログにはアップできなかった記事が一つと(読んだらみんなあきれちゃうと思います・・・が勇気を持って掲載)、がん患者のサポートグループの会報に載せていただいた文章、アス○ラス製薬のエッセイコンテストに応募してまんまと落選した文章を掲載しています。
それから旅行や娘の結婚式の時の写真を載せてもらったり、表紙や中のイラストを友人たちが書いてくれたりと、私の人生の卒業アルバムのような感じになっています。
目新しい内容はあまりないので、せいぜいリアルで私に会ったことのない方で「この望っていう人、どういう顔をしているのかなあ」と思っている方か、「パソコンだと目が疲れるから、紙のほうが読みやすいんだよね」という方くらいにしか需要はないとは思うのですが、もしご興味あればこのブログの右欄の一番下「ブログ本出版計画」のリンクをご笑覧ください。
(ブログ本は現在販売していないのですが、ブログ本についてラジオNIKKEIでお話したリンクを載せておきますね。2010年7月21日の回でお話しています。ページの一番下には、このブログをラジオドラマにして頂いた放送もありますので、よかったらお聴きください。http://www.radionikkei.jp/podcasting/inochi.xml)