
特に仏教徒という訳ではないのだが(私の宗教観は「なんか<大いなるもの>ってやっぱいるんだろうなあ」という程度)、お寺とか神社とかに行くと、祈りをささげている人々の姿や自然に癒される感じを受け、心が静まるのを実感する。
最近はあまり外出もできないので、家の中で写経と彩仏をやってみた(用紙はインターネットからダウンロード)
お経の意味とかはよくわからなかったりするのだけれど、集中するので、確かに自分と向き合うことができる。
最後に「願意」(お願い事)を書く欄がある。普通だったら「病気平癒」とか書くみたいだけれど、自分と向き合った結果、私はもう病気が治ることなんかちっともお願いしたいと思っていないことに気づいた。
私の病気は治らない。完全にそれを受け入れた。あきらめた・・・のともちょっと違う。治らないなら、もうこれでいい。
その代わり、最期まで自分らしく生きたい。それができる強い心が欲しいだけ。
強い心といっても、痛みを我慢するとかそういうことではなく(娘には、意識レベルが下がってもいいからモルヒネをガンガン使ってもらえるよう先生に言ってね、と頼んである。痛いのが怖いので)、ただ無理のない自然のままの自分で最期の日を迎えたい。
死にたくなければ、死にたくないなあと素直に思おう。もう死んでしまった方が楽だと思ってしまうような時には、ああもう死んじゃいたいと思おう。
どちらの気持ちがわいてきても、押さえつけることをせず、ただ思ったままに心を解き放っていられたらいいなと思う。
身体が言うことを聞いてくれない今の私だけれど、心だけは自由に遊ばせていたい。
っていうことを短い言葉にして、「願意」のところに書かなくちゃいけないんだけれど(結構スペースが狭いので)、語彙があまりにも乏しいのでまだ書けないでいたりする・・・(涙)
「お釈迦様 やっぱり耳たぶ長いのね」(「聖★おにいさん」読者に捧げる一句) 望
「聖☆おにいさん」一読者より
この仏画は「ふっくら」してるね。作中のブッダくんは、許せるだろうか・・・・?
望さんの想いを、短い言葉で表現・・か。
それを考えるのにも「集中」した時間を得られる気がします。私も、じっと考えてみました。
こういう時間って、大切ですよね。よい時間をいただきました。ありがとう。
今回のブログをじーっと読み進めて最後にあの俳句!
1人大笑いしてしまいました。
やっぱり耳たぶは冷たいのかな?
望さんの本予約しました。
早く出来上がるといいね。
楽しみにしています。
>びばりさん
確かにこのお釈迦様はかなりふっくらしてる!「ブッダ」が知ったら、きっと傷つくね(笑)
「心だけは自由に遊ばせていたい」っていう意味の四文字熟語みたいなのを書きたいんだけど、全然思いつかなくて・・・なんかそれらしいのを思いついたら教えてください。
>みどり その2さん
本を予約してくれたんだ♪ありがとうございます♪
ブッダの「耳たぶが冷たいネタ」を読んで、時々自分の耳たぶに触ってみるのだけれど、あんまり冷たくないんだよね。どうしてかなあ。